記事・コラム

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科学的事実、あるいは予測

科学的事実、あるいは予測

先週金曜日に発表された国連のIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)のレポート(20ページのサマリー)をざっと読んだ。概要は朝日新聞にも記事が出ていたから、日本でも多くの人の眼にとまったことだろう。

地球の環境がますます悪くなっていることは、このレポートを読めば明らかだし、その環境悪化の主たる原因である地球温暖化(global warming)が人間の活動結果によるものであることは、明確に述べられている。温暖化は自然現象の一つだ、などとうそぶいていた人には、はっきりと宣告が出されたわけだから、その意味でも意義がある。

しかし、このまま続けば地球はどうなる、という予測に関しては、今回のレポートも妥協の産物で、あたリさわりのないところで収めてある。科学者間の意見の相違の取りまとめや、スポンサーである大国(日本も含む)政府の「ご意向」なども尊重せざるを得ないなかで出てきたものだから、「衝撃的」な予測はない。

さらにそれだけではなく、観測データという「事実」がまだ少ないため、ほぼ間違いなく地球はこうなる、という確たる予測も、「科学者」としては出せないのだろう。

結果として、このレポートを読む人は、「わあー大変、だけどまだまだだいじょうぶ」という感想を持つことになろう。今世紀末に海面が50センチ上がっていようと、たいしたことではない、と誰もが思うだろう。その意味でこのレポートは極めて危険なレポートとなっている。

科学データがまだ少ないからといって、まだなんともいえませんといっている内に、時はどんどん流れ、データが積みあがって、やはり地球は壊れます、と「確信」を持って報告される時にはもう手遅れとなる。「科学的事実」と「予測」の間に何かが欠けている。科学者の他に別の人種が報告に加わる必要がある。

これまでにない新規のアクションを起こそうという時には、そのアクションを裏付ける事実データはほとんど存在しないのが普通である。昔、私が商品企画を職業にしていた時、企画審議会で、企画提案の根拠となるデータを示せ、と重役から要求されたことがある。この分野のこの商品がいける、とデータが示せる時は、競争会社が先行しているときだから、それまで待ちますか、と皮肉を言った覚えがある。心の中で「馬鹿は死んでも直らない」とつぶやきながら。

今回のレポートで決定的に不足しているのは、マイナスのスパイラルが始まると止めようがないという恐ろしい事実への言及が足りないところにある。具体的には北極海とグリーンランドの氷の溶け具合が加速するのではないか(するはず)という危険性への示唆がない。物事は壊れ始めると雪崩を打ったように事態が悪くなるものである。この二つの地域はすでに回帰不能地点を越えている、あるいはそこまでいかないにしても、このまま人類が二酸化炭素を出し続けると、きわめて近い将来、10年以内には越えることになろうという「脅かし」が書かれていない。

まだ見極めがつかない内にそのような予測は「科学者」としては、当然言えない。大胆な予測を出せる人は誰だ。科学者ではなく、「哲学者」が必要なのではなかろうか。

(07.02.06 篠原泰正)