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化学系サーチャーのための立体化学の基礎知識

特許調査と立体化学

化学系の特許の明細書を見ていると、化学式が書かれていて、同じような化学物質でも僅かに置換基のつき方や配置が違うものが多く記載されていることが見受けられます。特に、立体的な構造が異なる化学物質を扱っている「立体化学」に関する特許は多く、複雑難解なものといえます。しかしながら、化学分野の多くのサーチャーにとって、立体化学は避けて通れません。

今回は、サーチャーとして押さえておきたい立体化学の基礎知識について取り上げてみます。

1. 立体化学とは

有機化合物は紙面上では二次元で表示されていますが、実際は三次元構造を有しており、分子構造を三次元で取り扱う化学を「立体化学」といいます。分子内の原子や原子団の空間的配置(立体構造)や、それに関連する反応性、物理的性質等を研究する化学の一分野です。

同一の分子式を持つものの化合物としては違うものを異性体といいますが、分子の空間配置が異なるものを立体異性体といいます。

立体異性体のうち一方のみが食品や医薬品として役に立つこともあります。例えば、グルタミン酸では(S)体はうまみの成分となりますが、(R)体は苦みを感じるものになってしまいます。また、マツタケオールの(S)体はマツタケの香りがしますが、(R)体は草のにおいになってしまいます。また、下記で取り上げるレボフロキサシン等の医薬品が例としてよく話題となります。

有機化合物の立体化学は、フランスのパスツールによる酒石酸の異性体の発見(1848)がその端緒であるとされています。

特許によく出てくる立体化学用語

特許調査でよく出てくる立体化学に関する用語を集めてみました。

サーチャーとしてはこれらをすべて理解する必要はなく、特許や文献に出てきたときに見ていただければよいと思いますが、知っておくと調査に役立つと思われます。

 


立体配置

「立体配置」とは、立体異性を特徴づけている原子(団)の空間的な配置をいいます。

空間的な配置が異なることによって、下記のようなエナンチオマー、ジアステレオマー等や二重結合を有する化合物の場合は幾何異性体 (シストランス異性体)が生じたりします。


立体配座

「立体配座」とは、分子中の単結合の回転による原子(団)の空間的な配列をいいます。

図はブタンの立体配座の一例です。炭素-炭素結合を回転させる空間的な位置関係が変わります。熱や溶媒等の環境によって立体配座が変化する場合があります。

ブタンの回転異性体

立体異性体には、立体配置の異なる異性体と立体配座の異なる異性体が含まれます。


キラル

鏡像関係にあって互いに重なり得ないとき、両者の関係を「キラル」(chiral)であるといい、キラリティー(chirality)を有するといいます。一方、鏡像と重ね合わせることのできる分子を「アキラルな分子」と呼びます。
下記の3-メチルヘキサンの2つの化合物は互いに重ね合わせることのできない関係にあり、キラルとなります。

3-メチルヘキサンの鏡像異性体

不斉原子(不斉中心)

最も一般的なキラル化合物は4つの異なる置換基が結合した原子を持つ構造です。その原子を、「不斉原子」(立体中心または不斉中心)と呼びます。

炭素の場合は不斉炭素となります。ときには、不斉炭素を有しないにもかかわらず光学活性である化合物も存在します。分子の形が全体としてキラルである化合物を「分子不斉」といいます。

不斉原子(不斉中心)

エナンチオマー

キラルな異性体は、互いに重ね合わせることができない像と鏡像の関係にあるので、鏡像異性体(エナンチオマー)といいます。エナンチオマーは、物理化学的性質(沸点、融点、密度等)は同じですが、偏光面を回転させる方向が異なります(旋光性)。この性質を光学活性(Optically active)であるといいます。

エナンチオマー

ジアステレオマー

鏡像異性体でない立体異性体をジアステレオ異性体(ジアステレオマー)といいます。ジアステレオ異性体では互いの相対配置が異なります。エナンチオマーとは異なり、ジアステレオマーは互いに化学的・物理的性質が異なります。したがって、再結晶、蒸留、クロマトグラフィー等で分離することが可能です。


光学異性体

光学活性な異性体のことをいいます。旋光性のみが異なる異性体です。

 

★「光学異性体」は、鏡像異性体(エナンチオマー)と同義とされていますが、ジアステレオマーを含む場合もあり、定義があいまいなところがあることから、IUPACでは「光学異性体」という用語の使用は推奨しないとされています。しかしながら、下記J-PlatPatの検索結果にもあるように、特許の書面では依然として多く使用されていることから、検索用語としては外せない用語となっています。


ラセミ体(ラセミ化)

2つの鏡像異性体の完全な1:1の混合物(等量混合物)をラセミ体(racemate)といいます。互いの旋光性を打ち消し合うためラセミ体には旋光性がありません。ラセミ体の場合、化合物名の前に(±)をつけることがあります。もう一方のエナンチオマーが他方に変化しながら平衡に達するとき、この過程をラセミ化といいます。
なお、不斉炭素を有するにもかかわらず、実像と鏡像が一致する(アキラルな)化合物をメソ体と呼びます。メソ体は光学不活性となります。R の炭素とS の炭素が分子内で旋光性を打ち消し合っていると考えられます。メソ体には分子内に対称面があることが特徴です。

ラセミ体(ラセミ化)

光学純度

光学活性体の割合(純度)をいいます。光学純度は、試料の比旋光度を純物質の比旋光度で割った値で表します。+体の純物質の比旋光度が+100°のとき、試料の比旋光度が+50°であったとすると光学純度は50%となります。ちなみに、ラセミ体の光学純度は0%です。
また、光学異性体過剰率(enantiomeric excess : e.e.)というものもあります。計算法は、多いほうの鏡像異性体の物質量と少ないほうの物質量との差を、両者を足し合わせた値で割って%e.e. と表します。例えば、75% と 25% のエナンチオマーの混合物は50% ee となります。


光学分割

ラセミ体からエナンチオマーを分離することをいいます。結晶化法、酵素反応法、クロマトグラフィーによる分離等があります。有用な一方のエナンチオマーを得るのに役立つ方法で、医薬品の場合、他方のエナンチオマーによる副作用等を回避することができたりします。

※関連記事:「光学分割とは?分割方法(種類)、医薬品での利用例等を解説」はこちら(アイアール技術者教育研究所サイト)


不斉合成

鏡像異性体の一方のみを化学的に合成することをいいます。光学活性な触媒を使う等一方の鏡像体を過剰につくることができる場合があり、エナンチオ選択的反応と呼ばれます。また、ラセミ体を光学分割する等によっても得られる場合もあります。

 

他にも立体化学に関する語は多数ありますが、とりあえず上記の基本的な用語を知っておくと特許検索に役立つことがあるかと思います。

2. 化合物の表示方法

(1)RS表示

キラル化合物の絶対配置を表現する最も多く用いられている表示法です。不斉中心の立体配置をイタリック体大文字のRおよびSで表示します。
RかSの区別は次のようにします。

  • ①不斉中心に結合している4個の基を順位法則の優先性の高い順に番号付けをし、
  • ②最も小さい原子(団)を不斉中心原子の後ろに隠れる方向から見るようにします。
  • ③手前にある3つの原子(団)を大きい順に辿ったとき、それが右回りならR 、左回りならS と表示します。化合物名表記としては、(R)または(S)を名称の前に置いて表記します。

 

いくつか化合物名の例を記します。

R)-Glyceraldehyde [IUPAC]
R)-2,3-Dihydroxypropanal [CAS]
(2S,3R,4S)-2-Hydroxy-3,4-dimethylhexanoic acid [IUPAC]
(2S,3R,4S)-2-ヒドロキシ-3,4-ジメチルヘキサン酸

RS表示

(2)DL表示

糖やアミノ酸によく用いられる表示方法です。

鏡像異性体(エナンチオマー)は、物理化学的性質が同じ平面偏向との相互作用だけが異なります。平面偏向がエナンチオマーのうちのひとつの試料を通過するとき、平面偏向が時計回りの場合は右旋性dextrorotary (+)で、反時計回りの場合は左旋性levorotary (-)となります。エナンチオマー間では、回転角度の絶対値は同じですが、符号が逆になります。
なお、DL表示は平面偏向によるものですので、RS表示との関連性はないことになります。

(3)EZ表示

二重結合を有する化合物の絶対配置を表示するIUPACによる命名法です。二重結合を形成している元素の置換基の順位により区別する方法です。E かZの区別は次のようにします。

  • ①二重結合を形成している元素の置換基の順位をそれぞれ決めます。
  • ②それぞれの順位の高いものが同じ側にあればZ、反対側にあればEとします。

置換基の順位としては、

  • 原子番号の大きな原子は順位が高い。
  • 同じ原子の場合、その原子に結合している基を比較する。 等があります。
EZ表示

(4)cis-trans表示

二重結合を有する化合物の一部環状化合物錯体配位子等に使用されます。

二重結合化合物では、Z体がcisE体がtransに相当します。

なお、cis-trans異性体は「幾何異性体」とも呼ばれていましたが、IUPACでは「幾何異性体」の用語は推奨されていません。

(5)破線-くさび形表記法

最もよく使われる分子の立体表記方法で、実線でつながれた原子を紙面上にあるものとして、それに対して、紙面の手前に出ている原子(団)をくさび形で、紙面の奥に出ている原子(団)を破線で表します。破線-くさび形表記を用いることで、鏡像異性体を区別することができます。

サーチャーとしては、細かなルールを覚える必要はないと思います。ただし、調査対象の物質が、異性体全てを含む調査なのか、特定の異性体のみの調査なのかを区別できるようにはしておきたいものです。(RS)なのか(R)のみか、E体のみかZ体も含めるのか・・これらによって調査範囲が変わってきてしまいますので注意が必要になります。

3-メチルヘキサンの破線-くさび形表記

3.医薬品の例

立体化学に関連する医薬品の例を挙げてみます。

(1)オフロキサシン、レボフロキサシン

ニューキノロン系経口抗菌製剤で、最初にラセミ体であるオフロキサシンとして1985年 9月に販売が開始されました。その後2009年 7月に、光学分割されたS体のみのレボフロキサシンが販売されました。

オフロキサシン、レボフロキサシン

(2)オメプラゾール、エソメプラゾール

胃潰瘍等に効果のあるプロトンポンプ阻害剤です。ラセミ体のオメプラゾールが2001年 2月に販売開始され、2011年 9月に光学異性体のエソメプラゾールが販売されました。

オメプラゾール、エソメプラゾール

4.J-PlatPatでの検索

(1)キーワード検索

上記で取り上げた用語をJ-PlatTPatで検索してみました(2023.8.23調査)。

用語  ⇒ 特許請求範囲(件数)、全文(件数)

  • 立体配置 ⇒  3179、 38279
  • 立体配座  ⇒ 624、 14361
  • ラセミ  ⇒ 10548、 103144
  • ラセミ体  ⇒ 4567、 53414
  • ラセミ化  ⇒ 1779、 27109
  • 立体異性体  ⇒ 11403、 70157
  • 光学異性体*  ⇒ 3631、 47401
  • キラル  ⇒ 5834、 64185
  • アキラル  ⇒ 514、 5360
  • エナンチオマー ⇒  6874、 44729
  • ジアステレオマー ⇒  5918、 61309
  • 光学分割  ⇒ 1160、 11515
  • 不斉合成  ⇒ 155、 8490
  • 光学純度  ⇒ 703、 13599
  • 幾何異性体* ⇒  1464、 29811

*IUPACでは使用が推奨されていない用語ですが、特許の書面では依然としてよく使用されています。

(2) Fタームでの検索

立体化学に関するFタームを見てみました。下記のFタームが使えそうです。

4H006 有機低分子化合物及びその製造(カテゴリ:有機化学)
AB81・・反応試剤(←酸化剤、還元剤、光学分割剤)
AB92・・光学的特性(←赤外線吸収剤、紫外線吸収剤、X線吸収剤、発光性物質、テネブレッセンス化合物)
AC81・不斉合成;不斉保持合成
AC82・ラセミ化;完全反転または部分反転
AC83・光学活性化合物の分離;光学分割(具体的手段についてはADも付与している)

 

J-Platpatで上記Fタームの件数を見てみました(2023.8.23調査)。

Fターム         ⇒ 件数

  • 4H006AB81 ⇒  1840
  • 4H006AB92 ⇒  4544
  • 4H006AC81 ⇒  4514
  • 4H006AC82 ⇒  787
  • 4H006AC83 ⇒  3503

 

立体化学に関する調査をする際に参考にしていただければ幸いです。

5.立体化学についてサーチャーとして押さえておきたいこと

サーチャーとしては、立体化学に関する詳細な知識までを理解している必要はないと思いますが、上記のような関連用語を思い浮かべることができると調査の精度・効率が格段に良くなることがあります。

例えば、レボフロキサシンのように、ラセミ体として調べるのか、S体のみを調べるのかによって、調査に用いる検索式が変わる場合もあります。もちろん調査コストや調査効率にも影響が出てきます。

サーチャーは、調査対象でない化合物(ノイズ)をできるだけ排除し、無駄な労力をかけないために、立体化学に則した調査ができるようになることが重要です。調査対象をはっきりさせ、検索に使用するキーワードやコードを見極めつつ、丁寧に調査を進めるようにしましょう。立体化学の調査を頻繁にするサーチャーは、日頃から立体化学になじむようにすることもよいと思います。

 

一方で、光学異性体の項で記載したように、推奨されていない用語がいまだに使用されていたりする点などには注意が必要です。また、特許の明細書で専門用語が正確に使用されていないこともありますので、サーチャーはそのことを踏まえて検索しなければならないことを心の片隅に留めておきましょう。

 

(日本アイアール株式会社 特許調査部 S・T)

《参考文献》

1)モリソンボイド「有機化学」 他