このままでいいのか米国特許出願
このままでいいのか日本企業による米国特許出願!?(コラム)
日本から米国への特許出願件数は、毎年5万から6万という膨大な数である。これらの出願および権利獲得によって、どれほどの製品保護が達成されているかについては、私の手許にデータはない、同時にどれほどのライセンス・ローヤルティー収入が特許から上げられているかも私は知らない。何故に米国で特許を獲得するのか、その目的についても私は知らない。ただし、製品を米国で販売する上で、特許で保護されている必要があるとの判断が最大の理由であろうと推察はできる。日本メーカーの主力製品群のほとんどがすでに米国メーカーが敗退したものであることを考えれば、製品開発競争のために特許を取得するという理由は、主たる事項ではないだろう。
特許1件取得するのに要する費用がどれくらいか、仮にUSPTOおよび米国の特許弁護士事務所に払う費用を100万円と見積もれば、5万件の出願は総計500億円となる。そのうち、手続きおよび審査にかかる経費(原価)を仮に20%と見積もれば、400億円に粗利益を米国にもたらしていることになる。米国(USPTOと特許弁護士事務所)から見れば、日本企業が「おいしいお客」であることは間違いない。
これだけの経費を投入している特許取得活動であるが、その内容はそれに見合うものであろうか?
充分に調査したわけではないが一言で言えば、その内容は「ひどい」につきる。何がひどいかと言えば、Patent Specificationがまともな英文で書かれていないという事実につきる。
このことについては、米国人弁護士の話も裏づけされる。
「日本からの明細書の内容はほとんど不備であり、裁判で争えばほぼすべて負ける」
Patent Specificationの英文の不備
日本企業のPatent Specificationの英文の不備(今回はClaimは対象外)は、以下の4点に要約できる。
一つのセンテンスが異様な長文になり、何が書かれているのか、余程注意して再三再四読まないと意味が分からない
これは、日本の特許明細書特有の文章をそのまま翻訳した結果であろう。
日本語記述の流れの通りに「英語」に訳されている
例えば述語(動詞)が文末におかれているのがその典型例である。一見英語風であるが、論理の展開は英語ではない。多分英語を母語とする人には極めて「奇妙」な文章と映るだろう。
抽象、一般的言葉の具体的説明なしに、一つの文章が書かれている場合がある
例えば「これは危険である」と書かれて、「コレ」が何を指すのかその文章中には示されていない。このような表現も極めて奇妙な文章となるし、言葉の定義づけ、互いの関係の明確化が厳しく要求されるPatent Specificationでは明らかに排除されるべきものであろう。
さらに致命的な欠陥は、主語、動詞のない文章(従って文章とは呼べないが)が存在する
以上のように何を記述しているのか意味不明の、従って低品質の文章で書かれた仕様書は、
通常の常識から言えば、ガラクタでありゴミである。
なぜこのような「ゴミ」特許仕様書が、改善されることなく何十年も膨大な数で提出され続けているのか
上記のような文章欠陥は、英語構造が理解できている人にチェックしてもらえばすぐに判明することであり、そのような人はどこの企業にも何人もいるわけだから、品質向上のために検査をするつもりがあれば容易に実行できる事項である。
なぜそのような検査もなされていないのか
製品と違って、Patent Specificationは市場でユーザーにチェックされるものではないので、事実関係は当事者の内輪のサークル内だけで外に漏れることはない。
また仕様書に欠陥があっても、USPTOや米国弁護士事務所の事業に差しさわりがあるわけはないので、当然正面から指摘はしない、金の卵を産む鵞鳥に文句はつけない。経営トップもIPRへの意識は低いので、自社の現状がどのようになっているのか、まともにチェックはしないだろう。また、専門家の分野であるとの認識から、素人として意見を言うのを控える姿勢もそこにはあるだろう。
ということで担当部門も専門家に任せているから、ということで全てを丸投げしてチェックなしで仕様書が提出されているのだろう。この罪は極めて大きいと言わざるを得ない。
中国への特許明細書のレベルについては評価する力を持たないが、もしそれらがこれらの英文明細書をベースに中国語に翻訳されているなら、その結果は想像するに余りある。怪文書というか「怪明細書」になっているだろう。
知財部門の人(弁理士事務所を含めて)の誤解?
一般的に述べるが、知財部門の人には誤解があるのではないか、すなわち日本の特許明細書とUS Patent Specificationは基本的に同じであるという。体裁は同じ、特許法もほぼ同じとしても、日本人と西欧人の考え方の違い、そこからでてくる論理展開のやり方の違い、そしてその結果としての記述の構造の違いを理解していないと思われる。
×××発行の書籍に「米国特許をうまく取得する方法」が以下のように記述されている:
「米国出願に際し、一旦日本語明細書を作成してから英文明細書を作成するか、又は直接英文明細書を作成する手法が取られる。しかし、いずれの手法においても、米国出願明細書の作成において留意すべき事項は、日本出願の明細書に基づき作成する場合と何ら違いはない。」
ここでは、「手法」(*これは手法ではなくプロセス)だけが念頭にあり、基本的な記述方法への注意は念頭にないように見受けられる。上記書籍は、全編このように手続きだけを記したもので現状の問題解析もなく、また「言語」の問題も意識から抜け落ちている。現状を認識、分析しないで「うまく取得する方法」を記述するというアプローチは不思議である。
このように、もし日本企業の知財部門の人々の多くがIPR、特にパテントという共通の土俵の上では、基本的に日本も米国も同じ(更には中国も同じ)と考えているなら、日本の明細書を横にする(英文)だけで米国出願も通用すると判断していても不思議ではない。
米国人と中国人が日本人の考えとはきわめて異なる集団であるという基本認識に欠けていれば、ノーテンキな田舎人として、何の役にも立たないパテント出願を札束つきで上納を続けていても不思議ではない。
一人一人の本音を聞けば、ほぼ誰もがこのままでいいとは思っていないだろうが、集団となると正論はでてこないのかも…
(知的財産活用研究所 篠原泰正)